代表 伊藤修司
「F1種」のタネが主流の現代で、「固定種」にこだわる理由とは?
「『固定種』と言うと、ちょっと変わった特殊な野菜という見方をされる方もいらっしゃると思うんですけど、むしろ昔はこれが『ふつう』で、植物としても一番自然なものだと思うんです」
そう語るのは、北上市で「固定種」にこだわり、無化学肥料・無農薬の野菜を栽培する農家「ヤサイノイトウ」の伊藤修司さんです。
伊藤さんが「固定種」にこだわる理由……。それは、それが「ふつう」の野菜だから。
大地を耕し、そこにタネを蒔き、芽が出て花が咲き、やがて実がなり野菜として収穫したもののなかから、「一番良いもの」を選んでタネを採り、翌年にまたそのタネを蒔く……。
それぞれの地域の気候風土に合わせて、農家さんたちはおいしい野菜をつくろうと幾世代にもわたってそれを繰り返してきました。そうしたなかで、長い年月をかけて「一番良いもの」の形質がしぜんと野菜の個性として定着・固定化し、現在まで受け継がれてきたものが「固定種」と呼ばれる野菜です。
長い年月をかけてそれぞれの地域の気候風土に適応し、その土地に根づいた野菜は、肥料や農薬に頼り過ぎずに栽培することが可能で、個性豊かな風味が魅力。一方で、カタチ・大きさはさまざまで生育時期が揃わないといった特徴がありますが、昭和30年代頃までの日本の野菜は、それが「ふつう」でした。
一方、現在、市場に並ぶ野菜のほとんどが「F1種」と呼ばれるもの。「固定種」がタネを自家採取することによってその野菜が持つ優れた形質を受け継いでいくのに対して、「F1種」は別系統の野菜を人工的に掛け合わせてつくった一代限りの雑種です。
別系統の野菜を掛け合わせると、一代目のときだけ現れる「雑種強勢」(ざっしゅきょうせい=大きさ・耐性・多産性などで両親よりも優れた形質を現わすこと)により、「F1種」は発育が良く、カタチや大きさも揃った野菜をたくさんつくることが可能となります。
まさに、大量生産・大量消費の現代のニーズにマッチしたタネといえるのが「F1種」ですが、一代限りのためその野菜からタネを採取して翌年蒔いても同じ形質を持った野菜は育たないという特徴があり、農家さんは毎年タネを購入する必要も……。
もっとも、自家採取の手間が省けるだけでなく、収量アップにもつながる「F1種」は、高齢化が進み人手不足に悩む現代の農家さんにとってもその課題を解決する便利さも。
しかし、便利だからといって、すべての野菜が一代限りの「F1種」になってしまって良いのでしょうか……。伊藤さんは、それを潔しとしない農家です。
「固定種がどうこう言う以前に、固定種の野菜はふつうに食べておいしいんですよ。そもそもおいしくなかったら生き残っていないでしょうし……。
カタチや大きさがさまざまで一般の流通にはのることもなく、スーパーにも並ぶことはほとんどない野菜ですが、それでも細々とですけど固定種の野菜が生き残っているのは、やっぱり純粋においしいからだと思うんです。
日本には『そういう野菜がたくさんあるんだよ』ということをたくさんの方に知っていただきたいし、そういう野菜が特別なものじゃなくて一般の方の食卓にも『ふつう』に並ぶようになってほしいと思うんですよね」
と、「固定種」の野菜に対する熱い想いを語ってくれた伊藤さんですが、そんな伊藤さんが「固定種」の野菜と出会ったのは……。
ヒトに素直に喜んでもらえる仕事とは? たどり着いた“農業”の道。
「自分のやったことがきちんとヒトの役に立って、そのヒトに喜んでもらえていると実感できる仕事をしていきたい……。
そういう想いが強くなって、『それができる仕事って何だろう?』と考えたとき、たどり着いた答えが“農業”でした」
そう語る伊藤さんの前職は自衛隊のメカニックですが、その仕事にやりがいを感じられなかったという話では決してありません。
宮城県仙台市出身の伊藤さんはサラリーマンの家庭で育ち、高校卒業後は「航空機の整備士になりたい」と、当時は航空機業界への就職率100%と言われた専門学校に進学。
しかし、在学中にバブルが崩壊。一転、就職氷河期となり、航空機業界への就職が叶わず、そのとき求人があった自衛隊のメカニックへ。そして、それから20年間、自衛隊の車両などを整備する仕事に携わりますが……。
「仕事は大変でしたけど、楽しかったですよ。専門学校で学んだとはいえ、実際の現場に入ってその技術がすぐ通用するかといえば、そんなに甘い世界ではありません。
最初はいろんなことを覚えるのに必死で、でも先輩に聞かなくても故障の原因を自分で見つけられるようになると、どんどん仕事が面白くなるんです。
壊れた車両が来たら、できるだけ早く、しかもお金をかけずに修理して部隊に返してあげる。そうすると部隊のヒトたちにも喜ばれて、それが単純にうれしくて、だから最初の10年はすごく充実して仕事をしていました。
でも、自分が経験を積んで年数を重ねていくと、どんどん後輩も入ってきて、そうすると管理するような仕事も増えていくんですよね。
自分としては、一人のメカニックとして故障した車両を少しでも早く修理して部隊に返して、部隊のみんなに喜んでもらいたい。
ただ、それだけで十分なのに、その仕事に携わる時間も少なくなって、組織の一人として動かなきゃならないという状況がどんどん増えていったんです」(伊藤さん)
そんな伊藤さんが、今まで縁もゆかりもなかった「農業」を意識するようになったのは職場の友人の存在。
「『雑草のなかで野菜を育てる自然栽培を、いつか俺んちの庭でやりたい』という同僚がいて、『なんだよ、それ?』と思ったのが最初です(笑)
実際、本屋さんに行って調べてみると本当にそういう栽培方法があって、それまで農業に特に興味もなかったんですが、『農業にもいろんなやり方があるんだなあ』とびっくりしたんですよ」(伊藤さん)
そんな伊藤さんの気持ちが大きく動いたのは、東日本大震災を経て数カ月後。膝の靭帯を切ってしまい、その手術のために3週間ほど入院したときでした。
文字通りゼロから勉強。知るほどに深まる農業への興味にワクワク。
「私が入院したとき、友人が『どうせ暇だろうから読んでみれば?』と持ってきてくれたのが『農民になろう』という新規就農者の事例集でした。
ずっと農業とは縁もゆかりもない生活をしていたので、『農業は実家が農家のヒトしかできない』と漠然と思っていたんですよ。でも、その本を見ると脱サラした方が仕事として農業をやっていて、そのとき初めて『農家のヒト以外でも農業をはじめられる』ということを知ったんです」(伊藤さん)
と同時に伊藤さんは、「農業だったら組織に縛られず、野菜を育てる一人の人間として野菜づくりに専念でき、自分が丹精込めてつくった野菜を届けることでヒトに喜んでもらう。そういう暮らしができるのではないか」と考え、病院を退院するとさっそく動き出します。
本屋さんに行って新規就農者に関する本を読み漁り、行政が開催する新規就農者を対象としたフェアや、さらには北上市のお隣・金ヶ崎町にある岩手県立農業大学校で半年間開催された新規就農者向けの研修などにも仙台市から週イチで通ったそう。
この時間が伊藤さんには貴重でした。それまで家庭菜園すらやったことがなく、農業とは縁もゆかりもない暮らしをしてきた伊藤さんは、なんの先入観も持たずに「農業とは?」ということをゼロから学び、研修先で農作業も体験することに。
「半年間の研修で初めて農作業を体験したんですけど、全然苦じゃないんですよ。ずっと機械整備の仕事をしていたので汚れるのも気にならないし、一人黙々と土と向き合っている時間も、むしろ楽しい(笑) 『これは俺に合っているかも』と(笑)
それから、新規就農者に関する本もたくさん読みましたが、そういう本には高確率で有機農業をされている方が出てくるんですよ。それを見ていると、『他のやり方と何が違うんだろう?』と気になりますよね?
そうやって疑問に思ったことを片っ端から調べていくうちに、せっかく農業をやるのなら『自分の生活も含めて、環境にできるだけ負荷をかけずに循環する農業が一番いいんじゃないか』と思うようになったんです」(伊藤さん)
伊藤さんが「タネが危ない」という本と出会ったのは、そんな日々を過ごしているときでした。同書を執筆した野口勲氏は、全国から集めた「固定種」のタネを販売する「野口種苗研究所」(埼玉県)の三代目。日本の農家さんたちがそれぞれの土地で幾世代にもわたって自家採取を繰り返し、育ててきた在来のタネを守る活動をひろめようと奮闘されている方です。
もし、日本から「固定種」のタネがなくなってしまったら……。世界のタネが、一代限りの「F1種」のみになってしまったら……。そんな未来に危機感を抱き執筆された同書に伊藤さんは衝撃を受け、「固定種」の野菜づくりに強く魅かれていくように。
自分のやったことがきちんとヒトの役に立って、そのヒトに喜んでもらえていると実感できる仕事をしていきたい……。
その変わらない想いを出発点に、農業と出会い、有機栽培に魅かれ、「固定種」という野菜が守っている文化の大切さとおいしさを知った伊藤さんは、「固定種」の野菜づくりを通して、ヒトに喜んでもらえる農業を生涯の仕事にしようと決意します。が、どんどん伊藤さんの新しい夢が現実味を帯びていく一方で、奥様は……。
夫婦2人で訪問した有機農家さんたちの“笑顔”に背中を押されて。
「妻ですか? 最初は『今まで家庭菜園もやったことないのに、いきなり農業やりたいってどういうこと?』という感じでした」
「農業をやりたいと言ったとき、奥さんは反対されませんでしたか?」というこちらの質問に、苦笑いを浮かべてそう語ってくれた伊藤さん。
しかし、最初こそ疑心暗鬼の目を向けていた奥様も、伊藤さんが新規就農について一生懸命調べ、新規就農者向けのフェアや研修にも熱心に参加する様子を見て少しずつ変化。
さらに、伊藤さんが宮城県や岩手県で有機農業を実践されている5軒の農家さんの畑を訪問する際には奥様も同行。そこで働いている有機農家さんたちの表情を見て……。
「妻の考えも変わりました。こう言ったら怒られるかもしれませんが、訪問した有機農家さんにお金持ちの方はいらっしゃらないんですけど(笑)
でも、どこの農家さんも家族みんなすごく楽しそうに暮らしていて、それは妻もすごくわかったみたいで、『こういう生き方もいいかもね。一回しかない人生だし、やってみたら』と言ってくれたんです」(伊藤さん)
その後、農業を生涯の仕事にしようと決意した伊藤さんは、宮城県で「固定種」も栽培している有機農家さんの畑で1年間研修を積み、2016年に奥様の実家のある北上市更木地区に移住。組織に属さず、一人の農家として、「固定種」の野菜をつくる道を歩みはじめます。
ちなみに農業をはじめるにあたって、伊藤さんは自身の出身地であり、人口も遥かに多い仙台市で就農する選択肢もありました。しかし、それでも北上市を選んだ理由は、地域の方へ恩返しをしたいと思ったから。
「高齢の義母が更木でずっと一人暮らしをしていて、私たちも月に一度は様子を見に帰っていましたが、そういう暮らし方ができたのも地域のみなさんのお陰。病院通いや買い物などもご近所の方が手伝ってくださって、義母の暮らしを支えてくれて、本当に感謝の気持ちしかありません。
それに、更木は過疎化が進んでいて、農業をしているのは70歳を過ぎたお年寄りだけなんですよ。ここで10年後、『誰が農業をやっているんだろう』と考えたとき、誰もいないのではあまりにも寂しい。
人口の多い仙台の周りで農業をするのもいいんですけど、自分が農業を生涯の仕事としてはじめるからには、義母がお世話になった地域にしっかり根を張って、その地域に少しでも役立つようなことをして恩返ししていく方が、価値があるんじゃないかと思ったんです」(伊藤さん)
こうして奥様の実家のある更木に移住した伊藤さんは、地域の方の紹介で野菜を栽培する畑もスムースに借りられ、北上市の青年就農給付金も活用しながら「固定種」の野菜づくりをはじめます。が、そのスタートは決して順調ではありませんでした。
すべては「固定種」の魅力を知ってもらうため。伊藤さんの地道な挑戦。
伊藤さんの畑は発酵鶏ふんを堆肥として使用。そこに生えた雑草も野菜が負けない程度に刈り込んで土に還し、その雑草も微生物のチカラで土の肥やしにするなど、環境にできるだけ負荷をかけず、雑草とも共生しながら豊かな生態系を保つ土づくりを基本とした循環型の農業を実践しています。
この土地で5年目を迎えた現在、伊藤さんが育てている「固定種」の野菜は年間60種類以上。その販売ルートは一般の流通にはのせず、個人のお客さまへの宅配を中心に地元のレストランやカフェなどとも直接つながり、季節ごとに育ったバラエティ豊かな旬の野菜を届けています。
伊藤さんは北上市で就農した当初、北上市の青年就農給付金を活用したという話は先に触れましたが、その際はこのスタイルになかなか理解が得られず、苦労したそう。
通常、農家さんは野菜の種類をしぼって、カタチや大きさの揃った野菜をたくさん育てて市場に卸すのが一般的。その方が利益も出しやすく、経営も安定します。
しかし、伊藤さんは無化学肥料・無農薬にこだわり、タネも主流となる「F1種」ではなく「固定種」に限定し、さらにそれを少量多品種で、一般の流通にものせずに……。
単純に“儲ける”ことだけを考えれば、そのやり方に「なぜ?」と思うかもしれません。が、「固定種」という野菜の魅力を、そのおいしさを、多くのヒトに知ってもらい、喜んでもらいたいと願う伊藤さんからすれば、そここそが譲れないところ。
説明を重ね、最終的には青年就農給付金の担当者さんの共感も得られてひと安心となりますが、伊藤さんの野菜づくりの挑戦はこうした地道な努力を積み重ね、共感の輪を少しずつひろげていく取り組みでもあります。
その足掛かりとなったのが、「ヒトとの出会い」だと語る伊藤さんは、更木で野菜づくりをはじめてすぐ「Kitakami Sunday Morning Market」というイベントに「参加しませんか」と声をかけられたときのことを今でも覚えています。
出会いに感謝。畑の向こうに、お客さまの喜ぶ顔を想い浮かべて。
「Kitakami Sunday Morning Marketは現在も続いているんですが、スタートしたのが、私が更木で野菜づくりをはじめた年の7月からで、そういうタイミングで声をかけていただいたのはすごくうれしかったですね。
今はネット販売などもありますが、やっぱり自分がつくる固定種の野菜の魅力を直接みなさんに説明したいという想いが私にはあって、そういうイベントにはどんどん参加したいと思っていたときでしたから。
やっぱり野菜も含めて、食べ物は食べておいしくないとだめだと思うんですよ。そうしたときに、例えばイベントに参加するとお客さまに自分の想いをきちんと伝えることができるし、そういうお客さまが次のイベントにも来てくれて『おいしかった』と言ってもらえると、もうそれに勝る喜びはないというぐらいうれしい(笑)
正直、農作業自体は辛いことの方が多くて、身体もしんどくなって休みたいと思うこともあるんですが、喜んでくれるお客さまの顔を思い浮かべると、不思議とがんばれるんですよね」(伊藤さん)
ちなみに「Kitakami Sunday Morning Market」は、毎日の暮らしを豊かにするモノをつくる生産者さんたちが集まり、月イチで開催される朝市としてスタート。現在は毎月開催場所を替え、県内をキャラバンするスタイルに。
このイベントの仕掛け人のひとりであり、伊藤さんを誘った細田真弓さんは、北上市で毎年10月に開催され、昨年は1万人を超える来場者でにぎわった「町分マルシェ」の初代実行委員長も務めた方。伊藤さんはこの出会いから「町分マルシェ」にも参加するように。
また、「きたかみ仕事人図鑑」でもおなじみ「自然派ワインと料理の店 Bon Bar」や「CAFE WILLOWS」といった北上市の人気飲食店にも野菜を届けており、そのつながりからさまざまなイベントにもかかわるようになるなど、「固定種」の野菜の魅力を多くのヒトに知ってもらいたいと願う伊藤さんの取り組みは、たくさんの出会いを通して少しずつひろがっています。
そして、2016年に北上市更木地区に移住し、就農してから5年目を迎えた現在。伊藤さんの農業に対するかかわり方は大きく変わりました。
「本当に農業とは縁もゆかりもない生活をしていたので、農業に興味を持ち始めてからはずっと本ばかり読んでいました。
でも、その本も今は前ほど読まなくなった。本を読むことよりも、今一番大事なのは自分の畑をしっかり見ること。まだまだ畑の奥深さを自分でも理解しきれていないですから……。
本に書いてあることをそのままやっても自分の畑では通用しないとか、毎年収穫できていたのに同じ場所で今年は採れないとか、そういうことが当たり前にありますから。畑は本当に奥深いです」(伊藤さん)
しみじみとそう語ってくれた伊藤さん。
今、一番大事なのは自分の畑をしっかり見ること……。
そして、その先にお客さまの喜ぶ顔を思い浮かべて、伊藤さんは今日も畑に立っています。
(了)
岩手県北上市更木4-18
Tel/090-7061-6524
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