おじいちゃんやおばあちゃんが支えてきた、 木炭のあたたかな火が育む 豊かな暮らしを守りたい。

炭窯元  楽炭 (すみかまもと らくたん)
代表  千田 淳(ちだ あつし)

800℃の熱風もなんのその。46歳で脱サラし、北上で木炭づくりに挑む。

 内寸が奥行2m×幅1.5mの炭窯(すみがま)に1.5トン分のナラの木を並べ、火入れをしたのが12月1日。

 煙の色・におい・味・温度を見ながら火勢を調整し、およそ1週間かけて炭化させた木炭の窯出し作業が行われたのが12月8日。

 窯出しするときの炭窯の温度は800℃を超え、中から取り出した木炭は1,200℃にもなっているそう。

 木炭を炭窯から取り出すのは、もちろん手作業。窯口に近づけば800℃を超える熱風が痛いほど全身に襲いかかってきます。

 しかし、その熱さも楽しむように、大人の伸長よりも長い鉄の棒を使って、赤いクリスタルのように美しく輝く木炭を器用に取り出す男性こそ、今回の仕事人。

 北上市岩崎地区で木炭を製造・販売するだけでなく、 木炭の普及と木炭文化の継承に励む 千田 淳さんです。

 淳さんは「岩手県木炭協会」に長く勤めていましたが、2015年に独立。「炭窯元 楽炭」を立ち上げ、炭焼き職人となりました。

「木炭協会の仕事自体は面白かったんですよ」

 そう言って笑みを浮かべる淳さん。あえて“サラリーマン”という安定した職業を、しかも楽しかった仕事を辞めて、46歳という決して若くはない年齢で厳しい職人の世界に踏み込んだ理由……。

 その話に触れる前に、岩手県と木炭の歴史についてカンタンにご紹介しておきましょう。その方が、淳さんが木炭に強い想いを寄せる理由がよくわかると思うからです。

木炭生産量日本一を誇る岩手県。その陰には……。

 広大な森林を有する岩手県は古くから木炭づくりが盛んでした。明治時代には県外から木炭の専門家を招聘し、他県に先駆けて木炭の規格統一を図り、1912(大正元)年には木炭生産量「日本一」に。

 その後も戦前戦後の日本のエネルギー資源として木炭は重宝され、生産量日本一を誇る岩手県は「木炭大国」として揺るぎない地位を築いていきます。

 そこで重要な役割を担ったのが「岩手県木炭協会」。1952(昭和27)年に設立された同協会は、県内各地に検査機関や技術指導体制を構築しながら販売体制を整備するだけでなく、岩手木炭のさらなる品質向上を図るために炭窯の研究・開発に着手。

 窯の内部の温度を均等にして焼きあげることで、良質な木炭を安定して生産できるだけでなく、収炭率も高い「岩手窯」を生み出し、県内の木炭生産者さんへとひろめていきました。

 それが功を奏し、岩手県の木炭は生産量日本一を誇るだけでなく、品質においても高い評価を得るまでに。

 一方、今から20年も前の淳さんは、特にやりたいこともなく仕事も転々としていました。そんなとき、たまたま働いていたのが岩手県の出先機関である広域振興局林務部で、事務所の机の向かいに座っていたのが「岩手県木炭協会」の職員の方。

「私は運転手の臨時職員だったんですが、アウトドアが趣味で、キャンプに行くときはいつも向かいに座っている木炭協会の方から炭を買っていたんです。

 ところが、その方が病気になってしまって新しい職員を探すことになった。誰かやるヒトはいないかということで私に声がかかって、『職員になればボーナスも出るよ』と言われて『じゃあ、やります』と(笑)」(淳さん)

 とくにやりたいことも見つからず、職業を転々としていた20代。しかし、木炭と出会い、30歳となって「岩手県木炭協会」に入った淳さんは木炭生産量日本一を誇る岩手の木炭文化に触れ……。

 これが淳さんにとって、運命の出会いとなりました。

淳さんの炭焼き小屋。
すぐ近くを高速道路が走っていますが、それ以外はのどかな田園風景がひろがっています。
この日は辺り一面雪に覆われ、真っ白な銀世界に。
炭焼き小屋の中から見た風景。
当初は午後に行われる予定だった窯出しの作業は、窯の状態を見て陽が落ちてからに。お手伝いに駆けつける仲間たちのために
甘酒やお餅などを準備しながら、のんびり窯出しまでの時間を過ごす淳さん。
暖をとる炭火の中には銀紙で包んだサツマイモも用意し、淳さんはみんなにふるまってくれました。

岩手県内の木炭生産者さんの声に耳を傾けて、ともに歩んだ16年。

 30歳で「岩手県木炭協会」に入り、16年間勤めていた淳さん。その仕事は……。

「岩手県内の木炭生産者さんを回って歩いて木炭の品質検査をしたり、技術指導をしたりする仕事でした。

 でも、私が何かを教えるというよりも教わることの方が多かった。岩手県だけでなく、日本全国どこもそうだとは思いますが、木炭生産者さんは高齢化が進み、おじいちゃんやおばあちゃんの世代が今もがんばっています。

 そうした方々から見れば私みたいな者でも“若者”。行く先々で、みなさん本当に良くしてくださって、お話を聞いているだけでも楽しかったし、いろんなことも教えてもらえて、すごく勉強になりました。

 ただ、そうやっていろんな話をしていると、『炭が安い』とか『売れない』という話にどうしてもなってくる。

 しかも、そういう話を聞いていると、『自分の息子や娘には木炭づくりの仕事はやらせたくない』という生産者さんたちの気持ちもよくわかるんですよ。

 でも、協会としては『後継者を育てましょう』という話もしなければならない……。

 最盛期には、岩手県内でも木炭生産だけに従事していた方が2万人ほどいらっしゃいました。しかし、現在は120~130人ぐらいまで激減していて、北上市を含め県南地域はさらに減ってきています。

 そのうえ、木炭生産者さんの平均年齢は72歳ですよ。あと、5年もしたら……。

 そう考えると木炭文化を守るためには『後継者』を早く育てることが大事で、協会もがんばっている。でも、私としては生産者さんたちの気持ちもよくわかる。

 だから、『後継者を育てましょう』と強くも言えない……。やっぱり現場の最前線に立って直接生産者さんたちと向き合っていると、そういうジレンマがあるんですよ。

 でも、そのとき思ったんです。『そうか、俺が後継者になればいいんだ』って(笑) 私としては大好きな木炭の文化をなんとか残していきたい。それだけなんです」

 そう言ってあっけらかんと笑う淳さん。2015年4月、「炭窯元 楽炭」はこうして誕生しました。

◇窯出しの作業工程

火入れから1週間ほどかけて火勢を調整しながら、最終的に800℃以上の高温で焼き、木を炭化させることで炭ができます。
窯の内部の状態は、窯の後ろにある煙抜けの窓から出てくる煙の色やにおい・味などから判断するそう。
窯に火を入れると最初に白い水煙があがり、それから少し黄色味がかった煙に、濃い青色に、浅黄色にと1週間ほどかけて煙の色も変化し、
それが無色透明になると、いよいよ窯出し作業がスタート。
この煙抜けの窓を、窯出しの前に15cmほど開けます。
さらにレンガと粘土で密閉していた窯口を1時間ほどかけて少しずつ開放し、空気を入れていくことで
窯の中の温度もさらに上がり、炭はどんどん真っ赤に。
赤いクリスタルのようにキラキラと輝く美しい姿を徐々に見せはじめます。
窯の内部の様子。炭にも色の違いがあるのがわかります。明るく輝いてみえる部分は温度も高く、淳さん曰く「いい炭」。
暗い部分は取り出すまでもう少し時間が必要とのこと。ちなみに色の目安として、
朝日のようにキラキラと明るくまぶしいところが1,200℃、夕陽のような落ち着いた赤が800℃とのこと。
窯口が大きくなると火が噴き出してくるため、窯口に近づいてカメラやスマホで撮影するのも困難に。

木炭づくりを支えるおじいちゃんたち。そこから学んだことを糧に。

 独立して炭焼き職人となった淳さんを支えているのは、「岩手県木炭協会」で16年間働く中で、岩手県内の行く先々で出会った木炭生産に携わるおじいちゃんやおばあちゃんたちから学んだこと。

 さまざまな木炭生産者さんたちの話に耳を傾け、いろんなことを教えてもらい、身につけた技術やノウハウが淳さんの大きな財産となっています。例えば……。

「木炭には白炭(しろずみ)と黒炭(くろずみ)の2種類があって、それをつくる窯も違います。白炭は石窯、黒炭は土窯でつくるんですが、岩手県では黒炭づくりが主流。岩手窯も土窯で黒炭をつくる窯です。

 私は石窯も土窯も両方つくれるんですが、そういうヒトは多分そんなにいないと思いますよ」(淳さん)

 それを知って「うちの窯もつくってほしい」という依頼もあり、独立してから淳さんがこれまで手掛けた窯は10基以上。

「木炭協会にいたときは、活動は岩手県内だけでした。でも、フリーになった現在は新しい窯の製作はもちろん講演の依頼なども県外の方から受けることも多くて、県内に限らず木炭業界全体の底上げを図るお手伝いができればと思って活動しています」

 そう語る淳さんですが、自身が使っている窯も廃業する木炭生産者さんから譲り受け、自ら移築したもの。

「この窯の持ち主は一関市で木炭を生産していた88歳のおじいちゃんだったんですが、廃業するというんで『この窯どうにかならないか』と相談を受けたんですよ。その方も結局、後継者がいなくて……。

 『だったら俺がこの窯の後継者になるわ』と言ったら、『じゃあ、持ってけや』(笑)ということで私が譲り受けたんです。

 トラックに部材を積んで一関市から運んで、仲間にも手伝ってもらいながら自分の手で移築しました。

 この窯は白炭をつくる石窯なんですが、私は黒炭よりも白炭の方が好きなんですよ。

 黒炭はどういう炭ができあがるか、火が消えるまでわからない。でも白炭は窯口から中の炭の状態を見ながら取り出せるので、そこが面白い。

 いい炭が出そうなところから自分の手で取り出していけるところが、やっていて楽しいんですよね。焼きあがった炭は本当にキレイです(笑) ぜひ、自分の目で見てみてください」

 このヒトは本当に炭焼きが好きなんだなあと思える笑顔を浮かべて、淳さんはそう語ってくれました。

88歳の木炭生産者さんが廃業するということで譲り受けた石窯。2016年に一関市から自らトラックで運び、移築したもの。
淳さんが手に持っているのは、窯から炭を取り出す際に使う鉄の棒。筆者も窯出しをやらせてもらいましたが、大人の伸長よりも長い棒を操り、
800℃を超える熱風を浴びながら炭を取り出す作業は思った以上に難しく、改めて熟練の技がいるのだと痛感しました。
左が黒炭で、火がつきやすいためバーベキューなどで活用されています。右が白炭で、叩き合わせると金属のようないい音がするぐらい硬いのが特徴。
そのため火がつきにくいですが、一度着火すると安定した火力で長時間燃えるため、焼き鳥やうなぎのかば焼きなどに使用されています。
窯出し作業に向けて、淳さんの仲間たちが次々に駆けつけます。
この日は、西和賀町や二戸市からも淳さんの仲間がやってきて作業を手伝っていました。
炭火で焼いた餅などを食べてチカラを養いながら、淳さんの「作業開始」の合図を待ちます。
ちなみに、淳さんの隣でしゃがんでいるのは淳さんが代表を務める「いで湯までのラインを楽しむ会」のメンバーであり、
「きたかみ仕事人図鑑」でもご紹介した佐藤孝志さんです。淳さんと孝志さんは「チーム楽炭」としてチェーンソーを持ち、荒廃した里山の整備も。
伐採した木はみんなでシェアし、チップや薪はもちろん、木炭としても有効活用しています。

おじいちゃんやおばあちゃんたちが守ってきた岩手の木炭文化を未来へ。

 炭焼きの仕事は、冬が基本。淳さんも例年11月から3月にかけて炭焼きを行っています。

「1回の炭焼き作業が7~8日。うちの窯では1.5トンの木を入れて、白炭になるのが100kg。ほとんど趣味の世界ですよ」

 そう言って楽しそうに笑う淳さんは、さらに言葉を続けます。

「白炭って、焼きあがったら鉄の棒を使って中の炭を全部出すんですよ。その後、普通は窯が熱いうちに刺叉(さすまた)のような棒を使って窯の中に木を立てていって、また炭焼きをする……。

 それをやると確かに効率はいいんだけど、長い棒を使うからなかなか木がうまく立たなくて収炭率が悪くなるんです。

 だから私は窯出しした後は1週間ぐらい時間を置いて窯を冷ましてから、自分が中に入って自分の手で木を立てています。

 それは私が大分県の窯で学んだやり方で、効率は悪いし手間もかかるけど、その分いい白炭ができるし、収炭率も高くなる。木がキレイに立っているから、窯口から取り出すときの焼きあがりの色もキレイですよ」

 そう言って笑顔を浮かべる淳さんの夢は、独立する前からずっと変わりません。

「やっぱり木炭文化を守り育てる後継者たちを増やしていくことですね。

 例えば、最初はうちの窯に見学に来たり、手伝ってくれたりするところからはじめてもらったっていい。そうして仲間が増えたら、やりたいヒトにこの窯を任せて、私が別に窯をつくってやることだってできるし……。

 そうやって考えていくと、まずは子どもたちに火の扱い方を教えていくことも大事かなと思っています。今の子どもたちは火を扱う機会がほとんどないじゃないですか。

 『火は危ない』って親御さんたちは言うけど、危なく使うから危ないんであって、上手に使えば火はそれなりに応えてくれます。その扱い方を教えてあげたい。

 そうすれば火のある暮らし、木炭のある暮らしももっともっと身近になっていくのかなあと思っています」(淳さん)

 岩手県の木炭生産の歴史は平安時代頃からはじまり、陶器を焼く際に炭が使われていたとのこと。以来、暖をとるためや料理をするための熱源として、さらには茶の湯の文化を支え、南部鉄器や刀、産業用の鉄づくりなどにも活用されてきた木炭。

 近年では抗菌・消臭・調湿性の高さから、インテリアの一部として活用するヒトも増えるなど、その用途はひろがっています。

 しかし、その一方で後継者不足により、木炭生産者さんが激減しているという現状も。

 そういう木炭文化を守りたいからこそ「独立したのだ」と語る淳さんは、北上市岩崎地区にどっしり根をおろし、自分の足元から活動をひろげ、日本全国をフィールドに木炭文化の普及に努めようと今日も奮闘しています。

 淳さんがつくる白炭は、叩き合わせると金属のようないい音がしますが、その分硬いため火がつきにくいそう。しかし、一度着火すると安定した火力で長時間燃えるのが特徴とか。

 窯口に立ち、800℃の火に染まりながら作業するその身体の中には、白炭のように長くメラメラと燃える木炭への愛情がたっぷり詰まっていました。

 最後に、岩手県の木炭文化をずっと支えてきたおじいちゃんやおばあちゃんの炭焼き職人たちから、いろいろなことを学んできた淳さんに、印象に残っている言葉を伺うと……。

「最初に私に窯づくりを教えてくれたおじいちゃんは、『窯づくりに失敗はない』って。なぜなら、『常に改善できるから、失敗もない』。ただし、『自分の納得のいく窯はできない』ともおっしゃっていました(笑) 

 それは炭も一緒ですね。もうひとりのおじいちゃんは県北の方ですが、『納得する炭は焼けない。納得できたら、もう炭焼きなんてやめた方がいい』とおっしゃっていました。

 炭って、そのときどきで違うものができるんですよ。『同じものなんて絶対できない。だからこそ、どうすればもっといいものができるか、追求しているんだ』って。このおじいちゃん、すげえなあって思いました」

 そう言って楽しそうに笑う淳さん。木炭職人としてめざす頂きはどこまでも高く、しかしその道のりすら楽しんでいる笑顔が印象的な仕事人でした。

◇窯出しの作業工程

いよいよ窯出し作業開始。窯口から青い炎が噴き出すなど、800℃を超える熱風を浴びながらの作業が続きます。
大人の伸長よりも長い鉄の棒を使って、キラキラ輝いているキレイな木炭を1本1本掻き出します。
それを大きな鉄のチリトリのようなもので受けて背後の地面に置き、砂と 木灰 と水を混ぜた「砂灰」(すはい)を上からかけて一晩寝かせておきます。
すると「砂灰」に含まれる 木灰 が木炭の表面になじみ、「白炭」と呼ばれる白い木炭になります。
白いのはあくまでも表面だけで中は真っ黒な炭ですが、叩き合わせると金属のような硬質な音がします。
淳さんがつくる白炭。7~8日間の炭焼き工程のなかで水分、ガス、臭いなどを徹底的に抜き、「炭素分をどれだけ高められるかが勝負」と淳さん。
そんな淳さんがつくる白炭は炭素分が97~98%と高く、「いい白炭はダイアモンドの一歩手前。それを焼いちゃうんだから贅沢でしょ(笑)」と淳さん。
現在、岩手県で白炭をつくっているのは、淳さんの他に数人のみ。貴重な白炭です。
 

「楽炭」では、窯出しの見学や作業体験もOK!

 これまで家族連れや外人さんなども訪れ、興味津々で窯出し作業を見学していったそう。日本一の生産量と品質を誇る岩手の木炭文化の最前線をご体感ください!

 日程などは随時「楽炭」のFacebookで公開されています。興味のある方は、こまめにチェックを!

「楽炭」の炭は、「ふるさと納税」の返礼品にも。詳細はこちら! 

淳さんがつくる炭で焼いたお餅も堪能!
1月3日(金)、「新春餅つき大会」を開催!

淳さんが代表を務める「いで湯までのラインを楽しむ会」が主催する「餅つき大会」を1月3日(金)に開催決定! 会場は、「きたかみ仕事人図鑑」でもおなじみ、夏油古民家カフェ「小昼~kobiru~」です。ぜひ、お気軽にご参加を!

開催日時/2020年1月3日(金)11:00~
参加費/500円(1組・1家族) ※ご夫婦・カップル2人でも500円、ご家族4人でも500円です。
内容/餅つき・焼き餅体験・つきたて餅食べ放題・お正月あそび体験
メニュー/餅つき(あんこ餅、バター餅)
     切り餅(醤油、チョコ、チーズ、おかき)

スケジュール/11:00~ お正月あそび
       11:30~ 餅つき1回目
       12:00~ 焼き餅
       13:30~ 餅つき2回目
       15:00頃 終了
会場/夏油古民家カフェ「小昼~kobiru~」(岩手県北上市和賀町岩崎3-7)
主催/いで湯までのラインを楽しむ会
お問い合わせ/0197-62-3649

(了)

炭窯元  楽炭      

岩手県北上市和賀町岩崎16-45

Tel/090-3984-0717

2019-12-28|
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