平安の香りと「秀衡街道」の歴史に触れる旅へ。
2002(平成14)年に中尊寺から株分けされたという「中尊寺ハス」が見頃を迎えていると知り、北上市街地からクルマで30分ほど西へ。
その花は、のどかな田園風景がひろがる北上市和賀町岩沢地区にある国指定重要文化財「多聞院伊澤家住宅」の池で静かに咲いていました。
訪れたのは、7月16日(金)。天気予報では北上市の最高気温が33℃となっており、「これはやばい! 早く行かなきゃ」と午前9時には現地へ。
それが功を奏したのか、ハスの葉にはまだ朝露が残っており、緑の葉の上でキラキラ輝く様子も眺めることができました。
ハスの蕾の先に佇むトンボの姿があまりにもかわいらしくて、思わず写真をパチリ。
なかには、「キレイに咲いてね!」と祈りを込めて、(*´ε`*)チュッ とキスをしているようなトンボもいて、思わず (*´艸`*)
そう思って眺めてみれば、ハスの花にはいろんな虫たちの姿が……。
バッタの姿も……。
第四代泰衡の首桶から発見。800年以上の時を超えて花開く。
ピンクの清らかな美しさに癒やされるこの「中尊寺ハス」ですが、誕生した由来を知るとびっくり!
時はさかのぼり、1950(昭和25)年のこと。中尊寺金色堂の開棺調査で奥州藤原氏第四代泰衡(やすひら)の首桶から80個あまりのハスの実が発見され、それからおよそ半世紀の時を超えて1998(平成10)年に開花に成功。その花が「中尊寺ハス」と名付けられたのだそう。
泰衡の没年は1189年。800年以上の時を経て開花した「中尊寺ハス」が多聞院伊澤家住宅の池で見られるのは、奥州藤原氏第三代秀衡(ひでひら)が仙人峠通行の安全を祈願して建てた「仙人大権現」(現久那斗神社)の別当(僧職のひとつ)を、多聞院伊澤家が務めていたため。それが縁で株分けされたのでした。
ちなみに平安時代末期、金を平泉に運ぶ重要な行路として「黄金の道」とも称される「秀衡街道」(平泉~北上~西和賀~秋田県横手)があり、その中でも北上と西和賀を結ぶ「仙人峠」が人馬の事故が絶えなかった難所だったそう。「仙人大権現」には秀衡の祈りが込められていました。
江戸時代の山伏住宅とは? 「仙人大権現」ともつながる歴史ロマン。
さて、ここで気になるのが、「多聞院伊澤家」とは何者か?
実はこちら、里に住み着いた羽黒派の修験者(しゅげんじゃ)で、悪霊や災いを除き、人々の安穏を守る修験者として里人らからも期待される存在だったそう(北上市のホームページより)。
修験者と言えば、険しい山に入って修行をする“山伏”のイメージですが、江戸時代になると里に定着するように……。
北上市にある「多聞院伊澤家住宅」は、江戸時代に里に暮らした山伏たちの実態がほとんどわからない現在、修験道場をうちに含んだ住宅をつくり、里の人々と共存しながら暮らしを営んだ山伏たちの歴史を今に伝える貴重な遺構として、1990(平成2)年に国の重要文化財の指定を受けたのでした。
ちなみに「多聞院伊澤家住宅」は4月から11月の金・土・日および祝日は無料で一般公開されており、中に入って見学も可能です。せっかくです。さっそく入ってみましょう。
古くは800年以上も前、黄金の道とも称された「秀衡街道」の歴史にもつながり、さらに江戸時代には里の人々と共存しながら暮らしを営んだ山伏たちの文化にも触れられる「多聞院伊澤家住宅」。
咲くのは午前中だけ。3日で散る儚い花の美しさを見守る笑顔。
その建物の目の前の池に咲く「中尊寺ハス」は、午前中だけ花開き、鮮やかなピンクの色も少しずつ薄れ、わずか3日後には散ってしまうそう。
それを教えてくれたのは、こちらを管理する地元のお二人。
「撮影しても大丈夫ですか?」とお願いすると、「いやだいやだ」と恥ずかしそうにしながらも、笑顔を向けてくれました(*´艸`*)
ハスの花は3日で散ってしまいますが、これから咲きそうな蕾もまだまだ。もう少し先まで「中尊寺ハス」は楽しめそうです。ちなみに、訪れるなら花が開く午前中早めがおすすめ。
きっと、恥かしそうに笑うお二人が、笑顔で迎えてくれることでしょう(*´艸`*)
(了)
岩手県北上市和賀町岩沢9-54
公開日/4月~11月の金・土・日曜日および祝日
公開時間/9:00~16:30
見学料/無料
※敷地内は禁煙です。
◇庭先に咲く「中尊寺ハス」の見頃は、例年7月中旬から8月初旬にかけて。
「多聞院伊澤家住宅」の前にはJR北上線が走っており、その線路は「秀衡街道」に寄り添うように北上から西和賀、そして横手までつながっています。
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