100年先を見据える「小原建設」。「それは 未来へ残すものづくり」の誇りを、次の世代へ。

株式会社 小原建設

 工務課 土木係主査    齊藤 篤(さいとう あつし)

     建築係技術員 藤井夏子(ふじい なつこ)

株式会社 丸重(まるじゅう)

     工事係     栁原 倭(やなぎわら やまと)

会社の一大プロジェクト。任されたのは23歳の女性技術者。

 岩手中部医療圏(北上市・花巻市・遠野市・西和賀町)をひろくカバーする基幹病院のひとつとして、2020年11月24日に開院した「北上済生会病院」。

 藤井夏子さんがその建設現場に「施工管理職」として入ったのは、2019年4月。若干23歳、入社3年目を迎えたときでした。

 北上市で創業60年を超える「小原建設」は建設業界で県内トップクラスの売上を誇るなど高い実績がありますが、しかしその長い歴史のなかでもこの建設工事は一番大きなプロジェクトだったそう。その重要な仕事を、上司がついているとはいえ、当時若干23歳の若者に託したのでした。

「私は、2019年4月から現場に入って、それから完成まで約1年半もかかわらせていただきましたが、やっぱり大手さんと共同施工で行う大きなプロジェクトということで、施工管理のやり方もより細かくて大変でした。

 でも、そのお陰で大手さんの施工管理のやり方を学ぶことができましたし、それまでやったことがなかった工程管理表の作成なども任せてもらえて、本当に良い経験をさせていただいたと思います」

 そう言って笑顔を浮かべる藤井さんは、「小原建設」に入社した「女性技術者第1号」でもあります。

 今でこそ「建設女子」という言葉も一般的になるなど、建設業の現場で働く女性技術者も少しずつ増えてきていますが、藤井さんが入社した2017年当時は現場でその姿を見かけることなどほとんどなかったそう。そんな“建設業”の世界で、藤井さんが働きたいと思ったのは……。

▲現場で作業する藤井さん。

▲藤井さんが建設に携わった工場。「小原建設」では建築部材などを標準化し、建設工程をシステム化することでスピーディ・低コストに工場が建てられる「システム建築工法」を採用。誘致企業が多い北上市では特に好評で、藤井さんも3つの工場を担当したそう。

「女性」ではなく、ひとりの技術者としてより高みへ。

 藤井さんが“建設業”に興味を持ったのは、短大の建築科で。

「“すべり止め”で入ったので最初はそんなに興味もなかったのですが(笑)、勉強していくうちにどんどん“建設業”という仕事に魅かれていきました。やっぱり建物のスケールも大きいですし、自分たちがつくったものがずっと残り続けるのはすごいことだと思ったんです」

 “すべり止め”で入った短大で“建設業”を知り、その現場を監督する「施工管理」という仕事に出会った藤井さんは、「小原建設」が女性技術者を採用したいと知り、迷わず入社。以来、5年目となる現在まで、担当した現場の数は「北上済生会病院」を含め5つ。現場の数としては決して多くはありませんが、しかしいずれも「小原建設」では施工期間の長い現場であり、女性技術者第1号としてのプレッシャーもあったことでしょう。

 しかし、それに対する気負いは藤井さんにありません。

「女性とか、自分が第1号だとか、そういうことは関係なく、目の前にある仕事を一生懸命やるだけです」

 そう力強く語る言葉には、憧れだった“建設業”の現場で「施工管理」の仕事と真摯に向き合うひとりの技術者の姿がありました。

 とはいえ、まだ24歳。「ミスして落ち込むこともあるのでは?」といじわるな質問をすると……。

「もちろんそういうときもありますが、そんなときは『俺もいろんな失敗を経験してきたからこそ今があるんだよ』という上司の言葉を思い出してがんばっています」と藤井さん。

 女性も活躍できる建設業へ……。「小原建設」の取り組みは、藤井さんの成長と呼応するように一歩一歩と前進。現在、女性技術者は3名となり、建設現場の最前線で活躍しています。

 そして、藤井さんも気づけば後輩を育てる立場に。現在、藤井さんの下には今年高校を卒業したばかりの女性がついているそうですが、先輩としてどんなことを心がけているのでしょう。

「私自身まだまだ勉強中で教える立場ではないですが、やっぱり現場は“安全管理”が一番大事だと思っています。ですから、与えられた仕事はもちろんですが、それ以外にも気を配って『自分が危ないところだと感じたらヒトの見方を気にせず、すぐ直すようにした方がいいよ』とは伝えています」

 安全第一……。それは、「小原建設」の本社の入り口に掲げられている言葉でもあります。「小原建設」のものづくりの遺伝子は、こうして次の世代へと受け継がれていきます。

▲北上市村崎野に本社を構える「小原建設」。

▲現場で後輩を指導する藤井さん。

▲入社同期会の様子。 

▲本社に飾られた写真。コロナの影響でこうした集まりはできなくなりましたが、「小原建設」では入社同期会、新年会、家族も無料で参加できる社員旅行なども積極的に行い、社員同士や家族との交流を深めています。

建設業の魅力とは? それは……。

 そんな藤井さんに、今までで一番うれしかったことを尋ねると……。

「やっぱり建物が完成したときが一番うれしいですね。すべての苦労が報われます(笑) それに建物はずっと残るものですよね。例えば北上済生会病院では私は外壁工事を主に担当していたのですが、外壁は特に一番見える場所なので、今でも近くを通ったりしたときは、『こんなに大きな建物をつくったんだよ』とちょっと自慢したくなります。もちろん、ヒトには言わないですよ(笑)」

 一生懸命つくったものが地域に役立ち、未来へと残り、受け継がれていく……。そのことに藤井さんは建設業の魅力を見出し、やりがいを感じているのでした。

 「小原建設」の土木工事現場で現場監督を務める齊藤 篤さんも、現場は違えど一番の喜びは自分が携わる現場の仕事が終わり、完成した道路や橋を高い所から眺め、一服するときだそう。

 それは 未来へ残すものづくり

 これは、「小原建設」が掲げるキャッチフレーズ。東日本大震災から5年が過ぎた頃から「小原建設」では会社として仕事に対する向き合い方を一行の言葉に託して社内外に発信しています。

 かくいう同社も、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際には、沿岸にある宮古市で担当していた現場が被災。幸い作業員は無事で、地元・北上市にも戻ることができたそう。

 「小原建設」はその後も宮古市からの要請で、ガレキ撤去の作業に従事。さらに仮設住宅建設工事にも携わることに。しかし、地元を離れての被災地での仕事は、住む場所もないため自衛隊の宿舎の一部を間借りし、食事も1週間そうめんのみといったなかでの作業だったそう。

 そうした状況下でも同社は仮設住宅建設工事をやり遂げ、さらに続いて沿岸復興工事にも参加。地元・北上市を離れ、土地勘もない沿岸地域で宿泊しての施工は作業員も未経験で、不安も多かったそう。

 しかし、それでも沿岸復興工事に参加したのは、「ここで行かなければ、これまで公共工事で食べさせてもらってきた建設会社として使命を果たせない」との強い想いから。

 その後、グループ会社を含め全社一丸となって挑んだ沿岸復興工事のなかでも、最も多く携わったのが岩手県沿岸を縦断する三陸沿岸復興道路の建設でした。

 そして、その仕事にずっと携わっているのが前述の齊藤さんであり、「それは 未来へ残すものづくり」という同社が掲げるメッセージを、現場でより強く、深く実感しているヒトでもあります。

▲ガレキ撤去作業(2011年、宮古市にて)
▲三陸沿岸復興道路(2018年、山田町にて)

▲「小原建設」が携わった沿岸復興工事。

雨、風、暑さ、寒さ……。辛い作業のその先に。

「高校は商業科だったんですが、スケールの大きな仕事がやりたくなって、専門学校で“土木工学”を学んで建設業の世界に入りました」

 そう語る齊藤さんは最初の会社でも土木工事の現場で8年経験を重ね、さらにスケールの大きな仕事を求めて2008年(当時27歳)に「小原建設」へ。専門学校時代も含めれば、20年以上にわたってずっと“土木工事”ひと筋で歩んできたベテランです。

 そんな齊藤さんに“土木工事”の魅力を尋ねると……。

「仕事をしているときは辛いことの方が多いんですよ」と苦笑い。

 土木工事は、屋根のない現場で行う仕事。雨、風、暑さ、寒さ、台風、大雪……。むき出しの自然の影響をもろに受けながら、日々の作業が行われます。

 しかも、土木工事に同じ“作業”はありません。地形、土質、周りの環境、気象条件などによって日々状況は変化し、それに合わせた対応が常に求められます。

 加えて、絶対に守らなければならない“納期”……。土木工事の仕事は、道路や橋、堤防など、地域住民の日々の暮らしを支え、守る重要な仕事です。さらに特に近年は日本各地で自然災害が頻発しており、災害が起きた後の復旧作業はもちろん、災害から街を守るためのインフラ工事など、地域の日々の安全な暮らしを支え、守る社会貢献度の高い仕事でもあります。

 だからこそ、何があっても“納期”までにやり遂げるのが土木の仕事。台風が直撃して現場が流されるなど、数々の苦労を経験してきたこの道20年のベテランは、その大変さと辛さを身にしみて知っているのでした。

 しかし……。

▲「小原建設」では安全で効率的な施工を実現するため、ドローンや3Dスキャナ、ICTバックホウなど最先端のICT機器・建機の活用にも積極的。しかも、その活用がIT世代の若者に活躍の場を与え、社の技術力をさらに高め、国土交通省など高い技術と信頼性が求められる仕事の受注にもつながっているそう。ちなみに国土交通省からの受注件数は東北でもトップクラス。

▲齊藤さんが現場の指揮を執った三陸沿岸復興道路。東日本大震災から10年目の2021年3月、ついに仙台~八戸まで全線が開通。

助け合い支え合って生まれる、未来へ残すものづくり。

「うちの会社は、国土交通省や農政局発注の大きな仕事も多くやらせていただいています。私でいえば、最近は三陸沿岸復興道路(岩手県沿岸を縦断する道路)の現場がそれで、国の仕事ですので予算もスケールもけた違いに大きくて求められる技術も高く、とてもやりがいがありますが、その分、責任も重大です。

 でも、みんなでいろんな苦労を乗り越えて納期通りに道路を開通させたときは、それまでの苦労が吹き飛びますし、それに勝る喜びはありません」

 ひとつひとつの言葉を噛みしめるように語る齊藤さんは、今年の3月、無事納期通りに三陸沿岸復興道路の全線を開通させたばかり。

「うちの会社には、どんなに自分の現場が大変でも、それ以上に大変な現場があれば、みんなで助けに行くという文化があります。それがまさに3月のその現場で、なんとか無事に道路を開通させることができました」

 そう言って胸を張る齊藤さん。助け合い、支え合う「小原建設」の文化は、東日本大震災から10年目を迎える節目でも改めてその真価を発揮したのでした。

「土木工事は公共工事がほとんどで、みなさんが使う橋や毎日通る道路を造るのが仕事です。そうしたものは一度造れば100年先までずっと使われるものですし、特に道路は一生残るもの。ですから、誰に見られても恥かしくないものを造ろうとは常に意識しています」

 100年先を見据えて現場に立つ齊藤さんたちが造るのは、その地にずっと残り、子から孫へと受け継がれ、利用され続ける道路や橋たち。

 それは 未来へ残すものづくり

 その言葉は、齊藤さんをはじめ建設・土木工事に携わる「小原建設」ひとりひとりの想いがカタチになったものでした。

▲社内に飾られた写真を眺める3人。

ヒトを育てる。技術を受け継ぐ。若い世代が未来を創る。

 「株式会社 丸重(まるじゅう)」は、「小原建設」のグループ会社として1969(昭和44)年に創業。建設機械の運送業を皮切りに、建設業、産業廃棄物処理業、イングリッシュガーデンの設計・施工と事業を他方にわたり展開し、東日本大震災の際にはそのノウハウを活かしていち早く現場に出向きガレキ撤去に貢献。その後も「小原建設」とともに復興工事に携わってきました。

 そんな同社に昨年入社した栁原 倭(やなぎわら やまと)さんは、地元の黒沢尻工業高校土木科出身。授業で触れた重機の力強さに魅了され、この道に。しかし、憧れの現場に入ってみると……。

「初めて入った現場が、作業員としてではなくて、小原建設の現場監督の方の下について、いろいろ教えていただきながらの仕事でした。当たり前のことですが、学校の授業とは全然違いますし、覚えることがたくさんあって大変でした」

 そんな栁原さんを支えてくれたのが、先輩からのひと言。

「『受け身にならず、わからないことがあったら自分から積極的に聞きにいった方がいいよ』と言われていたのでそうしようとは思うのですが、やっぱり最初はなかなか自分から聞くことができなくて……。

 でも、聞かなければずっとわからないままだし、それではダメだと思って意識して聞くようにしたら、みなさん丁寧に教えてくださるので、無事最初の現場を終わらせることができました」

 そう語る栁原さんも2年目。今年の春、後輩ができました。

「自分もまだまだ勉強中ですが、それでも後輩を見ていると『自分もここで失敗したな』とか『このやり方がわからなかったな』とか、しぜんと1年前の自分を思い出します。そのときの不安や苦労がよくわかるし、自分もわからないときや困ったときは先輩に聞いて教えてもらって今があります。

 ですから自分が先輩にしてもらったように、後輩たちがわからないことや困ったことがあったら、いつでも聞きにきてもらえるような話しやすい先輩でいようといつも心がけています」

 最初に登場した藤井さんも語っていたことですが、「堅苦しい雰囲気はなく、みんなで協力して話し合いながら作業する」のが「小原建設」だそう。そうした企業風土がグループ全体にいきわたり、それが若い世代にも受け継がれていることが栁原さんや藤井さんの言葉からも伝わってきます。

 さて、重機の力強さに魅かれて土木の世界に入った栁原さんの現在は?

「重機はもちろんですが、現在は測量の勉強もしています。最初は測量が苦手で自分にできるのか不安でした。でも、ひとりで勉強するわけではなく先輩に教えてもらえるので苦手意識も薄れて、いずれは現場監督と重機運転手の二刀流でがんばっていきたいと今は思っています」と力強いひと言が。

 現在、「小原建設」では若手技術者の育成に努めており、特に建築部門では2/3が20代に。また、安全で効率的な作業を実現する最先端ICT機器・建機も東北でトップクラスの導入実績を誇るなど、現場の意見を取り入れながら、次代を見据えたものづくりを積極的に展開しています。かくいう栁原さんも「ICTバックホウに乗るのが楽しみ」と笑顔に。

 「小原建設」が掲げる、未来へ残すものづくり。

 それは、ヒトを育て、技術を受け継ぎ、高め、未来を創るものづくりでもありました。今日も「小原建設」の現場では、ベテランの下で若い世代が躍動し、未来へ残すものづくりに奮闘しています。

▲「小原建設」のたくさんの思い出が詰まった写真の前で。

▲本社に保管されている日立建機のバックホウ(UH03)とショベル(TS09)は、長く「小原建設」の工事を支えた功労者。ちなみに、左のバックホウは現在国内に2台のみ(日立建機の本社と「小原建設」に各1台)。日本機械学会機械遺産にも認定された貴重な1台です。

(了)

株式会社 小原建設

本社/岩手県北上市村崎野15-312-8

Tel/0197-66-3125(代)

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株式会社 丸重(まるじゅう)

本社/岩手県北上市村崎野15-312-7

Tel/0197-66-3126

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2021-06-23|
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