有限会社 メガネの松村
常務取締役 松村淑子(まつむら よしこ)
販売 横田健太(よこた けんた)
販売 菊池 彩(きくち あや)
「なんでそんなに話を聞かなきゃいけないの?」 今ならわかる祖母、母の偉大さ。
「母は、とにかくず~っとお客さまの話を聞いているんですよ。
祖母もそうだったみたいで、母はその祖母から『家族構成はもちろん、親戚の名前まで覚えて、お客さまに寄り添ってお話をしなさい』と言われていたそうです。
これは、お客さまがおっしゃったことなんですが、『あそこまで話を聞いてもらうと、買おうかなと思うんだよね』って」
そう言って微笑む松村淑子さんは、北上市で創業105年を迎えた老舗「メガネの松村」の常務取締役を務めながら、自身も店頭に立ち、メガネを買いに訪れるお客さまのお話にじっくり耳を傾けています。
その時間は長いときは3時間を超えることも。祖母から母へ、母から淑子さんへと受け継がれるそんな「お客さまとの向きあい方」を、しかし若い頃の淑子さんは「なんでそんなに時間をかけて話を聞かなきゃいけないの?」と懐疑的な目で眺めていました。
淑子さんは東京の大学を卒業後、国立の視能訓練学院に入学。1年で視能訓練士の国家資格を取得すると、地元・北上市へUターンし、県立病院の眼科外来で視能訓練士として眼の検査全般を担当していました。
「眼科外来には午前中に5~60人ぐらい患者さんがいらっしゃるんですけど、それを全部私ひとりで検査しないといけないんです。
その眼科に赴任される先生は、素晴らしい方ばかりで仕事も面白かったんですが、大変だったのが今もお世話になっている橋本先生という方が赴任されたとき。
橋本先生は仕事に対してとても厳しくて、検査も徹底的に行うし、手術の技術も高度で、人間としても尊敬できる素晴らしい先生なんですが、毎日ストップウォッチを持って私が検査する時間を計るんですよ(笑)
『松村さん、今日は昨日より1秒早くなったけど、もっと早くしてもらわないと困る』と言われて、毎日しごかれていました。
当時は毎日胃が痛かった(笑) でも、それがあったからこそ視能訓練士としての技術を磨くことができた。今の私があるのは橋本先生に鍛えていただいたお陰です」(淑子さん)
県立病院の眼科外来で視能訓練士として充実した3年間を過ごした淑子さんは、実家の「メガネの松村」が北上市に誕生する大型商業施設に出店するのを機に県立病院を辞め、家業を手伝うことに。
しかし、そこで直面したのは……。
病院で患者さんを検査する日々から一転、視力検査さえできない日々へ。
県立病院を辞め、「メガネの松村」の店頭に立った淑子さんがそこで見たものは、どんなお客さまにもわけへだてなく、どんなに話が長くなってもじっくり耳を傾け、親身になって寄り添う父や母、従業員たちの姿でした。
午前中だけで5~60人。ストップウォッチで計りながらムダな作業をとことんそぎ落とし、視野検査・断層写真などおよそ15項目の検査の中から、患者さんひとりひとりの症状に合わせて検査をし、正確なデータを積み上げながら、それらの作業を効率よくこなすことにこだわってきた淑子さんにとって、それは“非効率”なことのように見えました。
しかし、視能訓練士としてバリバリ仕事をしてきた淑子さんですが、同じ“眼”に関わる仕事とはいえ、メガネの販売は初めて。
メガネ販売の仕事は、来店したお客さまに最適なメガネを提供することですが、そのために覚えなければならないことも多様です。
お客さまから眼の悩みやどんなメガネが欲しいのかを伺う「コンサルティング」にはじまり、視力だけでなく乱視・斜視なども含めて眼の状態を正確に知る「視力検査」。
そのデータを踏まえ、お客さまの眼の状態に最適なレンズを選んだら、そのレンズをお好みのフレームに組み付けるため、0.1mm単位で削り上げ、調整する「加工」。
さらに、できあがったメガネのツルがぴったりフィットしているか、鼻当ての位置は最適かなどなど、お客さまの顔に合わせて適正な状態になるように調整する「フィッティング」と、おおまかに言ってもそれだけの業務があります。
「本当にわからないことばかりで、毎日叱られていました。まあ、今も叱られているんですけどね。私、うっかり屋さんなんで(笑)」(淑子さん)
そんな当時でも自信があったのが「視力検査」。最初に勤めた県立病院では、午前中だけで5~60人の患者さんの眼を検査してきた豊富な経験が、淑子さんにはありました。
しかし、その視力検査すら当初はさせてももらえなかったといいます。なぜなら、淑子さんが視力検査を担当しようとすると、お客さまが「旦那さん(淑子さんのお父さんで現「メガネの松村」代表)に検査してもらわないとちょっと……」と何度も言われたそう。
「病院に勤めているときは若いとはいえ白衣を着ていましたし、国家資格を持っていないとできない仕事だというのは患者さんもわかっているので、検査も当たり前のように私がすべて担当していました。
でも、『メガネの松村』でお店の制服を着て接客している私は、頼りない若いスタッフにしか見えなかったでしょうし、お客さまも経験のない若いスタッフに視力検査をやってもらうのは不安だというのも今ならわかります。
でも、当時の私には視力検査もさせてもらえなかったのは辛かったですね」(淑子さん)
「毎日、嫌で、嫌で、何度も辞めようと思った」と20年前を振り返る淑子さんですが、そんな淑子さんに「接客の大切さ」を教え、今へと導いてくれたのは、お客さまに対してとことん寄り添う父や母の姿でした。
越えられない大きな壁。自分にできることって何だろう? 考え抜いたその先に。
「父も母もお客さまに対しては、本当に愚直です。どんなに時間がかかっても親身に寄り添おうとします。
母に関しては、ただ母の顔を見にいらっしゃるだけというお客さまもいるくらいです。それぐらい慕われるって本当にすごいなと思います」(淑子さん)
「メガネの松村」の創業は1914(大正3)年。以来、「商人は正人」(損得よりも善悪を重んじる)という言葉を胸に刻み、「『量販』ではなく『良販』を。」にこだわり、北上市の眼鏡屋として商いを続けてきた「メガネの松村」。
100年以上も前からずっと変わらないその姿勢が「接客の松村」との評価にもつながり、地域で愛される現在の「メガネの松村」を支えています。が、同時にそれは、淑子さんにとって越えられない大きな壁でもありました。
「お客さまとの向き合い方、お客さまとの信頼関係の築き方、経験値……、どれをとっても父や母があまりにも偉大すぎて、私なんかまだまだです」(淑子さん)
今まで「メガネの松村」が長い時をかけて築き上げてきたもの。それを大切に守りながらも、父や母に遠く及ばない自分にできることは何だろうか……。考え抜いたとき、淑子さんの目に飛びこんできたのは、「個性」を追求すること。
メガネの販売は「半医半商」とも言われ、医療機器としての要素と、アイウェアとして身に着けて楽しむという2つの要素があります。
昔から「メガネの松村」ではその両方をバランスよく扱ってはいましたが、淑子さんは自分が興味のある「ファッション」と「個性の表現」の要素をさらに強化し、「メガネの松村」の新たな強みにしていこうと、ご主人の将(まさし)さんと一緒に考え、動き出します。
また、時代の新しい波が、そんな淑子さんと将さんの背中を押してくれました。当時のファッションシーンは、メガネをファッションアイテムとして捉える風潮が高まり、デザイン性にこだわったメガネブランドのコンセプトショップも台頭。
「当時は、おしゃれなメガネと言っても『これが売れるだろう』と問屋さんが見込んだものなど、どこかで見たような、飼いならされたデザインのものが主流でした。
でも、私が主人と東京の展示会に行って見た海外ブランドのメガネは、オリジナリティにあふれるもので、日本のハウスブランドのメガネもそれに負けないぐらい斬新で個性的なメガネがたくさんありました。
よりアートに近いメガネというか……、自分に似合うおしゃれなメガネというのももちろん大切ですけど、それだけじゃない楽しみ方、そのメガネを掛けることによって自分を表現するという文化を目の当たりにして、そういう時代の新しい波に強烈に惹かれたんですよね」(淑子さん)
当時、そうした“コンセプト系”と呼ばれるメガネを扱うお店は、東京をはじめ大きな都市に限られ、岩手県どころか東北を見渡してもそういう専門店がほとんどなかった時代。
現代表の淑子さんのお父さんやお母さんには反対されたそうですが、それでも淑子さんは将さんと一緒に新しい世界へ、大きな一歩を踏み出したのでした。
たどり着いた答え。“似合うメガネ”、“おしゃれなメガネ”の、その先へ。
盛岡市青山に「Lunettes Musée」(リュネット・ミュゼ)という名のメガネ店がオープンしたのは、2007(平成19)年4月のこと。
フランス語で「眼鏡の博物館」(リュネット=眼鏡、ミュゼ=博物館)という名を冠するそのお店は、「メガネの松村」が手掛けるセレクトショップ。
「自分自身も知らない、自分らしさが見つかる」をコンセプトに、デザイン性にこだわったオリジナリティあふれるメガネが豊富にラインナップされています。
ネジ1本まで日本製にこだわった純国産のもの。海外ブランドでも岩手にしかないもの。メガネ一本で勝負するハウスブランドのものなどなど、“コンセプト系”と呼ばれるメガネの中でも、さらに選りすぐったアイウェアが揃うため、岩手県外から訪れるメガネファンもいるそう。
「この間のお客さまは、お隣の秋田県沿岸からバイクに乗って3時間かけて来てくださいました。その方は欲しいメガネが決まっていて、指名買いされていかれましたが、そういうお客さまも多いんですよ」
そう語るのは、「リュネット・ミュゼ」に入社して8年目になる横田健太さん。横田さんは、実は目は悪くありません。
「私はもともとファッションに興味があって、そういう分野で販売の仕事をしたいと思っていたときに、この店を知りました。
私が学生の頃は黒ぶちの伊達メガネが流行っていた頃で、目が悪くない私にとってメガネはファッションの一部でしかありませんでした。
でも、『メガネの松村』のホームページを見ると、ファッション性はもちろんこだわっていますが、医療機器としてのメガネの部分こそすごく大切にしていて、それをお客さまがかけることによって、視力のこともおしゃれの部分も同時に満たすというか、両方で幸せを感じてもらえる仕事ってすごいなと思って入社を決めました」
そう語る横田さんですが、目が悪くないヒトが目の悩みを抱えるお客さまを接客するというのは、実感が伴わないだけに相当にハードルが高いものでした。
「入社した頃は、いろんなメガネ屋さんに行っては、どういう接客をしているか、研究していました。
それに、この仕事は販売だけでなく、視力検査・加工・フィッティングと覚えなければいけないことがたくさんあって、それを覚えるのが大変でした」
そんな横田さんの大きなやりがいとなっているのが、お客さまからかけていただく感謝の言葉……。
「ありがとう」のために。めぐりめぐって、原点へ。
「この仕事は、『ありがとう』と言っていただくことが結構多いんですよ。
手元が見づらい、遠くが見づらい、メガネが下がってくる、もっと明るい印象にしたい、キリッと見せたい、何が自分に合うのかわからない……。
そういうお客さまのお悩みにお応えして調整したり、いろいろご提案をしたりして、それで見えるようになったり、お客さまの新しい自分を引き出せたりすると、とても喜んでもらえますし、最後には『ありがとう』と言ってもらえる。
それが、とてもうれしいんですよね」(横田さん)
だからこそ、お客さまに心から満足していただくためにも、「コミュニケーションはとても大切にしています」と言葉を続ける横田さん。その想いは、淑子さんともリンクします。
「この店に並ぶメガネは、どこでも買えるものではありません。ここでしか扱っていないメガネもありますし、デザインもオリジナリティにあふれている……。
そういうメガネは、それをかけることで自分の知らない自分を見せてくれたり、ふだんなら自分では絶対選ばないようなメガネでも、それと出会うことで自分の知らなかった魅力を引き出してくれたりもします。
そういう『自分自身も知らない自分が見つかる』メガネをお客さまにご提案したいと思って、主人と一緒にこの店をはじめましたが、お客さまに満足していただくためには、この店のファンになっていただくためには、『あのヒトがこうアドバイスしてくれたから新しい自分に出会えた』という実感を積み重ねていくことが大事で、だからこそ、やっぱり『接客』が大切になるんですよね……」(淑子さん)
お父さんやお母さんとは違う側面から見つける「ファッション」や「個性の表現」の追求という独自の道を歩んでいたと思った淑子さん。
しかし、それも結局は今までおばあちゃんやお母さんがやってきた「お客さまに寄り添ってお話を聞く」という「接客」の延長線上にあったのだと改めて気づかされる結果に。
でも、自分のやりたいことをとことんやってみて、それで淑子さんも吹っ切れました。
「今のスタイルは、母にも通じる、でも私なりの母に縛られない『接客』なんだなって思えるようになりました。
それまでは目標とする母の重圧に勝手に負けていたところがあって、でもやっぱり親子でも、尊敬する上司であっても、『自分は自分なんだ』と思えるようになって、今はすごくラクですね(笑)」
そんな淑子さんに、新しい夢ができました。
夢はミステリーハンター。探し求めていたものは身近なところに。
「レンズ界のミステリーハンターになりたいんですよ(笑)」(淑子さん)
「ミステリーハンター?」という謎の言葉が飛び出しましたが、淑子さんは子どもの頃から世界を冒険する「ミステリーハンター」になりたかったそう。
その夢は今も変わらないそうですが、そんな淑子さんを今トリコにしているのがメガネのレンズの進化。
「今のレンズってすごいんですよ。『眼内レンズ』(白内障の手術で取り除いた濁った水晶体の替わりに目の中に入れる人工の水晶体)とか、メガネフレームとヒトの骨格の関係性を測定してイチからつくる3次元オーダーメイドレンズとか……。
最近はフレームに触れるだけで簡単に遠近が調節できるメガネも登場したんですが、その遠近両用のレンズでも『本当にこれ、遠近両用?』と驚くくらい、遠方視野がひろく確保されてよく見えるレンズもあります。
お客さまのお話を伺っていると、『もっと遠くを見たい』とか『手元をもっと見えるようにしたい』と相談されることが多くて、私もその気持ちがよくわかる年齢になってきました(笑)
人間にとって情報の8割は目から入ってくると言われますが、私はもっともっとお客さまが望む視界を手に入れるお手伝いがしたい。
もっと遠く、もっと近く……、そういうお客さまが求める視界をこのレンズなら体現できますと見極められて、自信を持ってご提案できるヒトになりたいんですよね」(淑子さん)
「メガネの松村 本店」で視力検査が行われるお部屋に案内していただきました。そこで、まず驚いたのがレンズの数。
その数は昔のものも含めると優に1000枚を超え、遠視・近視・乱視・斜視などお客さまひとりひとりの目のお悩みに幅広く応えられるようにラインナップされています。これも100年を超える歴史の積み重ねの成果でしょう。
これに、さらに最先端のレンズも含めれば……。レンズの世界は深淵で、お客さまのお悩みもひとりひとり異なり、求める視界も多様です。
お客さまの声にじっくり耳を傾け、奥深いレンズの世界から、お客さまが望む視界を体現するレンズを見つけ出してくる淑子さんが、「レンズ界のミステリーハンターになりたい」と言った理由が、そのレンズの数を見てわかる気がしました。
「最近、思うんですよ。大手のチェーン店だったり、ネットでなんでも買えたりする時代に、地方のメガネ店の強み、『メガネの松村』の強みって何だろうと考えたとき、やっぱり『接客』なんですよね。
お客さまおひとりおひとりに寄り添ってお話をじっくり聞くということ。それはとても時間がかかるし、とっても人間臭いことなんですけど、特徴化しやすくて、付加価値にもなるし、今のところAIでもできないことだと思うんです。
だから、これからも『接客の松村』を大切にしていきたいし、そこをどんどん推し進めていきたいという話は社員みんなとしています。
それに、他との差別化という意味でも、『接客』という私たちの強みを生かせれば、今後もっと面白いことができるんじゃないかと、社員みんなでワクワクしています」(淑子さん)
レンズ界のミステリーハンターは、長い回り道を経て、確かな宝物を手にしたようでした。
若い世代へ。受け継がれる「接客の松村」。
最後に登場するのは、「メガネの松村」で一番若手の菊池 彩さん。生まれも育ちも北上市で地元の高校を卒業後、他のヒトにはできないような手に職をつけたいと、「メガネの松村」に入社しました。高校時代は弓道に夢中になり、アルバイトの経験もないまま、この道へ。
「お茶の淹れ方もわからなかったので、弘子さんと淑子さんには本当に全部イチから教えていただきました」
と語る彩さんは、歯切れよく言葉を発する淑子さんや弘子さんに比べると、話し方もゆっくりでおっとりとした性格のよう。「メガネの松村」の癒し系といった印象です。
今年6年目になるそうですが、メガネの販売の世界は覚えなければいけないことが多く、一人前になるまでには10年はかかるそう。ご本人も、「まだまだ勉強中」とのことですが、ちなみに現在は……。
「レンズの説明などはだいたい出来るようになってきて、今は視力検査のレベルをあげようと勉強しています。
9月には東京で開かれるレンズメーカーの講習会にも参加するんですが、覚えなければいけないことがたくさんある分、がんばった分だけ出来ることもひとつずつ増えていくので、それが喜びでもあります」
そんな彩さんにとって、淑子さんは憧れの存在。
「仕事には情熱的だし、なにに対してもがんばって取り組まれるし、もちろんメガネやレンズの知識も豊富です。
それに、お客さまのことは何でも知っていて、お客さまにも愛されていて、いつか、私もそういう風になりたいです」(彩さん)
「接客の松村」の遺伝子は、こうして若い世代へと受け継がれています。
◇「メガネの松村」の求人
「メガネの松村」では、一緒に働く仲間を募集中! 興味のある方はこちら!
◇松村淑子さんは、ラジオ番組「夢を語る大人たち」~つなげる未来編~にも登場! 興味のある方はこちら!
(了)
岩手県北上市本通り2-3-43
Tel/0197-64-6121
営業時間/10:00~19:00
定休日/水曜日
岩手県北上市本通り2-2-1 さくら野百貨店 3階
Tel/0197-65-2123
営業時間/10:00~20:00(さくら野百貨店に準じる)
定休日/さくら野百貨店に準じる
岩手県盛岡市青山2-24-22
Tel/0196-01-1914
営業時間/10:00~19:00
定休日/月曜日
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