わが戀(こい)を
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日 石川啄木
もうすぐバレンタインですね(*´m`)ムフフ。そろそろ世の中、友達と「恋」の話題でソワソワしだす頃でしょうか。
40代で未だ独身、彼女もいない私としては、バレンタインなどどこか違う惑星の話みたいですが、これでも若い頃はありまして、「恋」の話題でソワソワした青春時代がありました。
友達と恋の話をするといえば、修学旅行の夜でしょうか(*´m`)ムフフ。布団にくるまって友達と「誰が好きか」という話で盛り上がった日のことを思い出しますが、明治時代に天才詩人と言われたあの石川啄木が恋の悩みをはじめて友達にうちあけたのが、ここ、北上だったという話をご存じですか?
今回のコラムの最初にも使わせていただいた
わが戀(こい)を
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日
という歌は、1910(明治43)年に出版された石川啄木の歌集「一握の砂」に登場します。
なんでも石川啄木は1902(明治35)年10月、旧制盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)の同級生だった小澤恒一(こういち)の家を訪れたそうですが、その家が黒沢尻(現北上市)にありました。
1886年に生まれた啄木は、当時16歳。今でいえば、高校1年生ぐらいでしょうか。
啄木は盛岡中学校を中退し、文学で身を立てるために上京する直前の時期だったそうですが、ある悩みを抱えていました。それが、のちに妻となる堀合節子との「恋愛」のこと。
小澤と啄木は盛岡中学校で一緒に「ユニオン会」なる英語の自修会をつくり活動するなど仲が良かったため、啄木は親友の家を訪れ、恋の悩みを相談したのでした。小澤も親身になって啄木の悩みを聞き、ときに励まし、夜の九年橋を一緒に歩いたとのこと。
16歳の男子2人が、どんな話をしながら歩いたのでしょうか (o^^o)ふふっ。青春時代の甘酸っぱい思い出といいましょうか、微笑ましい光景ですね。
啄木は結局、それから数年後に堀合節子と婚約するわけですから、小澤のアドバイスのお陰と言っても過言ではありません。だって、のちに啄木も、小澤に相談した日のことを感謝の気持ちを込めて日記に綴っているそうですから(*´m`)ムフフ。ああ、友情って素晴らしい!
それはさておき、なんと、その歌を刻んだ碑が北上にあると知った私は、1月某日、さっそく歌集「一握の砂」をバッグにしのばせて出かけました(/*´∀`)o レッツゴー♪ 向かった先はJR北上駅西口から歩いて10分ほどのところにある小さな公園です。「一握の砂」を手に、啄木が小澤と歩いた道を歩いてみようと思ったのでした!
さっそく、公園に足を踏み入れると……
(あっ、歌碑を発見!)
私は慌ててバッグから歌集「一握の砂」を取り出し、ページをめくります。啄木といえば、こちらが有名ですね。
不来方の
お城の草に 寝ころびて
空に吸われし 十五の心
15歳といえば、小澤恒一の家を訪れる一年ほど前(o^^o)ふふっ。青春真っただ中という感じですね。
さらに、こんな歌も。
やはらかに積れる雪に
熱(ほ)てる頬(ほ)を埋(うず)むるごとき
恋してみたし
啄木は恋に恋焦がれていた時代を経て、堀合節子という運命の女性と出会い、親友に切ない胸の内をうちあけるべく北上を訪れていたのでした。啄木は1912年に26歳という若さでこの世を去りますが、この北上で青春を謳歌していたと知って、ちょっとニンマリ。
(なんか若いっていいなあ(*´m`)ムフフ)
40代になってしまった私には、その甘酸っぱい感じがこっぱずかしいというか、こそばゆいというか、微笑ましいというか、まぶしいというか……。
私は歌碑の前に佇んでいるのが照れくさくなってきて、ふと公園のなかを歩けば、そこには……
今年の北上は昨年に比べると雪が少ないらしく、道路の雪も降って積もったかと思えば、すぐに消えてしまうような感じです。しかし、その公園には雪が残っていて、いくつかの足跡が、2つ並んだ可愛らしいブランコへとのびていました。
(ま、まさか、カップルの足跡……)
そのブランコを見た瞬間、私は突然、妄想の世界から、リアルな世界に引き戻されたのでした。
(40代で未だ独身の男が、ひとりで何をやっているんだ……)
そう思うと、なぜか目の奥がツンとしてきます。私は慌てて目頭をこすると、「一握の砂」のページを無造作に開きました。すると目に飛び込んできたのは、
やはらかに
柳あをめる北上の
岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
慌ててページをめくります。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握(いちあく)の砂を示しし人を忘れず
歌の意味はまったくわかりません。というか、頭に全然入ってきません。ただ、「泣け」とか、「泣きぬれて」とか、「蟹とたわむる」とか、「頬につたふなみだ」とか、40代独身で彼女もいない男を追い込むフレーズがやたらと目に飛び込んできます。しかも、極めつきは、この一句。
わが泣くを少女等(をとめら)きかば
病犬(やまいぬ)の
月に吠(ほ)ゆるに似たりといふらむ
(ウォーーーー!!!)
居たたまれなくなった私は、逃げるようにその公園をあとにしました。
向かった先は、もちろん啄木が親友の小澤と歩いた九年橋。その場所で啄木は小澤に励まされ、勇気をもらい、見事、恋を成就させたのでした。本来は「夜の九年橋」を歩いたようですが、そんなことは言ってられません! それぐらい40代独身男子は追い込まれています( ノД`)シクシク
そんな男を、九年橋はあたたかく迎えいれてくれました。和賀川の流れの向こうには、ゆるやかな山並みが……。
ふるさとの
山に向ひて言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
そのとき、私は啄木が詠んだ歌の意味を初めて理解できたような気がしたのでした(*´m`)ムフフ
「あれっ、去年の夏に東京から移住してきたんじゃなかった? まだ半年しか経ってないのに、もうふるさとって、おい!」というツッコミも気にせず、私は九年橋からの景色をただ拝むような気持ちで堪能したのでした。
この橋は車でよく通りますが、いつも通り過ぎるだけで、ゆっくり眺めを楽しんだことはありません。和賀川のゆったりとした川の流れは、私のすさみ傷ついた心を癒してくれます。
(啄木も親友と月明りの下で、この景色を楽しんだのかなあ)
(川に石投げたりしてね。「好きだ~!」とか言いながら……。青春だなあ(o^^o)ふふっ)
いつしか私の心にも余裕が生まれ、改めて周りを見回すと、遠くに何やら赤いものが……。
(なんだ?)
好奇心がムクムクと沸き起こってきます。私は、赤いモノが何か知りたくて、川沿いの土手を歩きます。
(あっ、パンダがいる! (o^^o)ふふっ)
のんびり散歩を楽しんでいると、見えてきたのが……、
(か、か、観覧車……)
あそこには絶対、幸せなカップルがいる……。
うずくまる私_| ̄|○
(私は一体ひとりで何してる?)
もうすぐ、バレンタイン……。
みなさん、お幸せに!
(了)
石川啄木の歌碑
岩手県北上市幸町3 帰帆場(きはんじょう)公園内
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